2023年10月11日の勉強会
10月11日の勉強会は、今月の天文現象の話と、日本の江戸時代の天文学についての話でした。
10月の天文現象
1.オリオン座流星群・・・ピークは21日17時頃。観察は21日の夜がベストだが、ピークはなだらかなので2,3日前でも2,3日後でもそれほど変わらないとの説あり。元々数は多くなく、1時間に10個も流れない。19日深夜に見てみたが、1時間に4個程度だった。明るい流星は多くないので、大きな期待はしない方がいい。
2.部分月食・・・10月29日明け方に起こる、少しだけ欠ける部分月食。食分0.12なので少ししか欠けないのと、食の最大が午前5時14分でしかも西の低空と観察には厳しい条件。日曜の朝なので、早起きの得意な人以外はお勧めできない。
勉強会で配布した資料
2023年10月星空案内人勉強会資料 2023.10.11
江戸時代までの日本の天文学について
1.公的機関の天文は暦を作ること
2.西洋天文学が入ってくる前は一般的な天文学(惑星科学や宇宙の構造など)はなかったらしい。
3.望遠鏡は江戸中期には国産品が生産されたが高価で、一部の大名やお金持ちが所有した
4.日本初の望遠鏡を使った天体観望会は、橘南谿(たちばななんけい)主催で1793年 (寛政5年)京都の黄華堂(橘南谿の別荘)で開催された。
天体望遠鏡は泉州貝塚の眼鏡職人、岩橋善兵衛が製作した屈折式望遠鏡を使用した。
1.公的機関の天文は暦を作ること(と占い)
・日本の暦(太陰太陽暦)は飛鳥時代に中国から朝鮮半島(百済)を経由して伝わった。
・暦は完全ではなく、中国では改暦が時々おこなわれたので、日本でも遣唐使で暦を輸入した。
・遣唐使が廃止されて暦の輸入もストップ。その後800年以上も同じ暦を使い続けた。
・その結果誤差が積み重なり、日食月食の予報が当たらなくなり改暦が必要となる。
・五代将軍綱吉の頃(1685年)日本人による初の改暦(渋川春海による貞享暦・じょうきょうれき)。
・明治6年、太陰太陽暦(天保暦)から太陽暦に改暦。
2.幕府の天文方(暦を作る公的機関)や長崎の通訳などが西洋の天文書を翻訳して勉強した。
江戸後期には和算家が算術や天文暦学の講義を各地でおこなったらしい。
3.日本の望遠鏡について
①望遠鏡は1608年オランダで発明された。日本初の望遠鏡は、1613年徳川家康が英国王から贈られたもの。長さ1.8メートルの立派なもので、通商許可が目的の贈り物だった。
②1730年代、八代将軍吉宗が長崎の眼鏡師に望遠鏡を作らせて天体観測をおこなっている。吉宗は天文好きで、観測機器を考案したりしている。
③泉州貝塚(大阪府南部)の岩橋善兵衛は1700年代後半、望遠鏡製作を始める。その後四代にわたり明治時代まで望遠鏡製作を続けた。製作したのは屈折望遠鏡。 大阪の麻田派天文学者にも販売した記録がある。
④1835年頃、国友村(現在の滋賀県長浜市)の鉄砲鍛冶の国友藤兵衛がグレゴリー式反射望遠鏡を自力で製作。土星の衛星が見えるほど高性能(スケッチあり)。 現在でも4台が残っている。
4.1793年の国内初の観望会では、木星と土星を見たらしい。倍率は20倍前後なので、木星の衛星は確認しているが木星の表面模様は見えてないらしい。土星は「両方に耳のようなものが付いている」と記録がある。太陽や月、金星、星団等の観察記録も残っている。
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